一昨年、設立100周年を迎えた当社だが、今年は創業から数えること220年という、やはり節目の年を迎えている。220年前、初代増田安次郎は現在の滋賀県東近江市の増田町からここ川口(当時は武州川口宿と呼ばれていた)に居を構え、現 所在地にて「増田屋」の屋号で鋳物業を開業。幕末期には三代安次郎とその兄弟達は、国防の要であった大砲作りで名を馳せ、隆盛を極めた時期もあったようだ。また、当時の軍艦奉行であった勝海舟氏とはかなり親しい間柄であり、三代安次郎の弟数之助の墓碑は海舟氏が書いてくれたものである。
明治維新を迎え、紆余曲折の時代を歩む中、辛酸舐めることもありながらも必死の思いで次代にバトンを繫いでくれた。商魂たくましく、常に前を向いて歩んだ先祖の足跡を垣間見たとき、「前を向いて進む姿勢(チャレンジ精神)」だけは忘れてはいけないと、常々自らに言い聞かせてきた。
さて、220年目の今年の決算だが、長年の大目標であった売り上げを超えることができ、社員と共に万歳三唱をしたのは記憶に新しい。220年という節目の年に実現できたことは、これに勝る喜びはないが、これも一重に社員や協力会社の皆さんの頑張りがあってこそだと思っている。心から感謝!
私は30才を過ぎた頃から「小さな大企業になりたい」という思いをずっと持ち続けてきた。成りは小さくてもいい、やってることはどこにも負けない。大手企業とも対等な関係で取引ができるスモールだがエクセレントな企業になりたいと思い続けて来た。そして、できることなら大企業をも上回る賃金を払える会社になりたいと願ってきたが、これも数年前より叶えることができている。銀行の方が「ボーナス、こんなに出すんですか!?」とびっくりしていたが、常に大企業の金額を意識して、それを超えることを目指してきた。
ボーナス支給後に「妻と一緒に開封して、びっくりしました!」、「車を買い変えることにしました!」、「久しぶりに家族旅行に行ってきます!」など、嬉しい話を聞けることが私にとっては快感(笑)で、それを聞きたいがために「出せる時は出す!」を信条としている。