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「体罰」問題について一言

2013年2月

 今、日本中の学校やスポーツ界がいじめと体罰問題に揺れている。体罰=「暴力」、体罰=「愛の鞭」のようにグレーゾーンを境に意味合いは全く変わる。勿論いじめや暴力はあってはならないが、「愛の鞭」を体罰に含めるのか否か? これが難しい問題で賛否が分かれるところだ。以前から私は愛の鞭容認派だが、その線引きが難しい。
 10年前、私は4年間PTA活動に従事し、会長も務めた。昔のように、廊下に正座をさせたり、バケツを持って立たせる等の行為は「体罰」に当たると聞いたが、驚いたのは「態度の悪い生徒の腕をつかみ引き寄せた」もそれに当たると聞き、大いに疑問を持った。先生の手足がもぎ取られた状況にあるからだ。先生は何もできないと見れば、指示に従わず悪態をつく生徒がいるのも現実だし、きれいごとでは済まないのが現場だ。一番困るのは、やる気のある(情熱を持っている)先生ほどやる気を失うことに繋がってしまうことだ。当時衆議院議員だった鈴木宗男氏が外務官僚に平手打ちをして問題になったことがあったが、小泉首相は「まぁ愛の鞭というのもあるからね」と言った。一国の首相が認めた?「愛の鞭」をすべて「体罰」と一くくりにするのはいかがなものかと思う。 
PTA会長のとき、そのような問題が起こった場合の対処法として、愛の鞭だと「親や生徒が判定した場合」は、PTAが先生を守るべきだと思った。教育委員会に上申し、弁護もするくらいの自覚と権限をPTA側も持つべきだと思った。
最近、校名は忘れたがどこかの高校の駅伝部の顧問にも体罰があったと報じられた。しかし、その後多くの親や教え子たちが処分撤回の署名活動をし、「あんなにいい先生はいない」「あの先生を失うのは教育界の損失だ」と訴えていた。その先生の行為こそが「愛の鞭」と言えるものではないだろうか。守るべき先生ではないだろうか! 私はそう思った。
守るべきは守り、排除すべきは排除する、今こそその選択が必要な時代なのだと思う。