社長(増田)がジャンルにとらわれず不定期に更新していきます

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100周年を迎え、100年誌を刊行

2022年9月

 9 月 10 日、お陰様をもちまして設立 100 周年を迎えること ができました。
これも一重に、弊社を盛り立てていただいた取引先の皆々様、 そして社員やその家族のご厚情があってこそと、心より感謝 し、また御礼申し上げます。
この節目の日を迎えるに当たり、兼ねてより 100 年誌の編さん に取り組んで参りました。

 初代増田安次郎による増田屋開業(1804 年)から、今年で 218 年。その⻑い歴史をできるだけ正確に 伝承するため、専門家に調査を依頼したり、大砲を研究している先生に幾度となく安次郎秘話を教えて いただいたり、また親戚や知人など多くの方にお尋ねしながら、足掛け 3 年、やっと創立記念日に間に 合わせることができました。

 その歴史を紐解いてみると、歴代の当主達がその時々の時代に合わせたモノづくりを、必死の思いで繋いできたことがわかりました。川口の特産品であった「鋳物」を生業とし、寺社仏閣に納める天水桶や梵鐘などの大型鋳物を得意としていたこともあり、幕末の黒船来航時には大砲の鋳造に腐心。全国の台場に213門の大砲と41323発の砲弾を納め、国防の最前線を担っていた時期もありました。
  初代のルーツは滋賀県にあると伝え聞いておりましたが、驚くかな東近江市には「増田町(マシタチョウ)」や「鋳物師町(イモジチョウ)」、「増田橋」や鋳物の神を祭る「竹田神社」が今も実在することから、この地の出身であると見て大きく外れていることはないと思っています。

 明治に入ってからは水道管や鉄道用車輪、他にも迎賓館の門扉のような工芸鋳物などを鋳造。当時開かれた勧業博覧会にも盛んに出品していました。しかし、大正に入ると大事件が勃発。鋳物業を続けられなくなり増田屋は一旦途絶えたものの、翌年には万能粉砕機(花崗岩の石臼ですり潰すタイプの装置)の製造に着手。二年後の1922年(大正11年)には祖父である増田幸蔵が増幸商店を設立。機械製造の傍ら鋳物製品や茶器・花器の販売を行っておりました。そして時は流れ終戦を迎え、先代社長の父恒男が復員。8年に及ぶ研究開発の末、昭和30年代にノーポーラス無浸透砥石を装着した超微粒摩砕機「スーパーマスコロイダー」を開発。これを契機に超微粒摩砕による新しい市場を数多く開拓し、今ではリチウムイオン電池やセルロースナノファイバーを筆頭に、食品・医薬品・化粧品・ケミカル工業用など、あらゆる産業分野でご利用いただける粉砕機となりました。大正期の万能粉砕機をルーツとしたこの度の100周年。この歴史を大切にし、今後も超微粒摩砕の世界に特化深耕し、「一意専心」の気持ちで社業の発展に専念する所存です。どうぞ、今後ともよろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。