社長(増田)がジャンルにとらわれず不定期に更新していきます

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会社設立100周年に向けて

2021年7月

来年の「設立100周年」に向け、半年ほど前から100年誌を編纂している。二百十余年の長い歴史を振り返るのは容易ではなく苦戦しているが、自らのルーツに係わることなので、できるだけ多くの情報を収集し、齟齬の無い歴史を解明したいと思っている。
初代増田安次郎がここ川口で鋳物業「増田屋」を開業したのは1804年。出身地は現在の滋賀県栗東市付近であると、子供の頃より父から聞かされていた。栗東では江戸時代に多くの鋳物師(イモジ)が活躍しており、「鋳物師の郷」と呼ばれていたことや、すぐ隣の東近江市には「鋳物師町(イモジチョウ)」や「増田町(マシタチョウ)」、また鋳物の神様を祭っている「竹田神社」や、その近くには「増田橋(マシタバシ)」なる橋も現存しているから驚いた。「日本歴史地名体系」という"地名の由来"を纏めた資料を調べたり、その地域の歴史や文化に詳しい方のお話も伺ったが、残念ながら初代安次郎がこの地の出身であることを裏付ける決定的な資料や証言は得られなかった。しかし、鋳物師町、増田町、増田橋、竹田神社などの存在を考えると、この地が我が家系の出身地であると思っても、大きく外れてはいない気がする。

歴史上の出来事を時系列に示すと、その時代時代に大きく翻弄され、変化を余儀なくされた時期や、隆盛を極めた時期から苦境にあえぐ時期もあり、激動の世を生き抜く過酷さを感じることも多く見て取れた。鍋・釜等の日用品を製造していた鋳物屋が、幕末の動乱期に異国からの侵略を防ぐために大砲を作り国防の一翼を担うも、明治になると機関車の車輪や水道管などが主に。また、第一次世界大戦前後は軍需産業が多くなり、その後は一時期鋳物の生産ができなくなるも再び昭和で復活・・・。紆余曲折はあっても今日まで途切れることなく家業を継続できているのは、多くの先人たちの血と汗と努力の上に成り立っていることを改めて知ることができ、私にとっては大きな励みになった。先人たちのモノづくりに対する気概や熱量を忘れることなく、その思いを次代に繋げてゆきたい。